新宿でキャバクラのスカウトマンをやっていてボコボコになった話

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新宿でキャバクラのスカウトマンをやっていたことがあったなー

何年前の話だろ。ぼくが19歳の頃にやっていたから、約14年前で2003年から2004年ぐらいの頃だね。

スカウトの迷惑防止条例は2005年に出来たが、まだその条例が施行される前だから、スカウトマンの集団やホストの集団が歌舞伎町周辺には沢山いましたね。

 

今田さん司会のやりすぎコージーに出ていた、グラドルの子をキャバクラに紹介したこともあったな。

時系列的には、その子はキャバクラ辞めてからグラドルに転身していたけど。

 

女性雑誌の現役専属モデルをキャバクラに紹介したこともある。

 

また、押〇学事件の相手方の女性をスカウトした記憶もあるなぁ。その6年後にテレビで事件のニュースを見たときはびっくりしたものだ。

 

10代の頃のスカウトマンをやっていたこともあって、まだガキだった自分にとって、新宿でスカウトマンをやっていたことはとても刺激的だった。

新宿スワンという漫画のように、他の地域(八王子や立川等)に遠征にいくこともあった。

他のスカウト会社と路上で喧嘩することもあった。

 

スカウトマンになったきっかけは、大学1年の冬頃にゆうすけ(仮名)という友達が新宿でスカウトマンをやっていて、「一緒にやらないか?」と誘ってきたのだ。

ゆうすけに誘われて、一応スカウトマンになるための面談があるということで、新宿にあるスカウト会社の事務所に行くことになった。

 

会社の場所は区役所通りにある雑居ビルの一室にあった。ドアを開けて、事務所の中に入るとスーツ着たイカツイ男たち20人ぐらいに囲まれる。

当時19歳のガキにしたら、怖いっちゅうねん笑

19歳のガキだからこそ、スーツ着てて肌黒い連中ばかり見るとイカツク見えたんだろうけど。

 

事務所の奥には社長がいて、社長と2、3分ぐらい簡単にしゃべってから、「明日から頑張ってな。」と言われ、さっそく働くことが決まってしまう。

 

その会社は歌舞伎町の駅前や靖国通りなどをテリトリーとして活動しており、スカウトマン30人から40人を抱えている規模はあった。

当時はエージェント、ハーツ、ナンバーワン、ロイズ、リップスといった色々なスカウト会社が存在していた。

中でも当時一番規模が大きかったのはエージェントというグループで、新宿スワンのスカウト会社のモデルにもなっている。

 

僕が入ることになったスカウト会社は、キャバクラ専門のスカウトであり、

スカウト行為をする時には、敬語を使うことは当たり前で、女性に絶対に触ってはいけない等、他社に比べたらルールがしっかりしていたほうだと思う。

一般的には当たり前のことなんだろうけど笑

 

他社では、女性が歩く道を遮ってスカウト行為をしたり、シカトされたら乱暴な行為をしたり、女性にタメ口をつかったりするスカウトマンも多数いたのだ。

 

 

 

初日に、上司になった山崎さん(仮名)から100店舗位の契約店リスト(お店の住所、お店のレベル、保証時給、営業時間、スカウトバックの金額、担当者、連絡先など)を渡されて

 

「とりあえず、街中で綺麗な女性や可愛い女性を見つけたら、声かけて、お店に連れていって」

「最初のうちは、ひたすら声をかけるだけだから。」

 

ということを教わった。

たったそれだけ。

 

山崎さんから声のかけ方等をおそわることもなかった。わざわざ教えるほどに彼にも余裕がなかったと思う。

完全歩合の仕事で自営業みたいなもんだからこそ、お互いにルールやマナーは守れど、同じ会社のスカウトマン同士でも一定の距離感はもっていた。

同じスカウト会社でも、社内の人間は皆ライバルだからね。

 

僕としても、とりあえずはやく先輩よりも路上に綺麗な女性がいたら声をかけなきゃいけないし、声をかける場所も確保しなければいけない。

ただ、その会社ではチーム制にはなっており、ゆうすけと僕は同じチームに所属して、新宿駅前や靖国通り、ドンキ前、区役所通りなどでよくやっていたものだ。

 

当時はまだヤクザ等も集団で歌舞伎町を歩いていて、よくスカウト行為をしてる最中に前をまともに見れてないもんだから

ヤクザにぶつかってしまい、絡まれるということもあった。

半べそをかきながら、ヤクザに頭を下げて謝るなんてこともあった。今考えたら、良い経験だったと思う笑

 

また、ヤクザが経営してるお店の女の事をスカウトしてしまい、因縁かけられるということもあった。

後で山崎さんにそのことを話すと、そのお店の女の子に声をかけてしまったらすぐに引くことと教わったものだ。

 

18時から19時ぐらいになると、新宿駅前や靖国通り、区役所通りにキャバクラ勤務の女性が多くなる。

この時間帯がキャバクラのスカウトマンにとって、ゴールデンタイムとよばれており、ひたすら出勤前のキャバ嬢たちに声をかけまくった。

 

「どこで働いているんですか? 時給高く出しますよ~(・`ω・)」

といって出勤前のキャバ嬢に声をかけて引き抜き行為をおこなうのだ。もしも、契約店で働いている女性だったら、引き抜きは出来ないけれども。

 

たまたまお店を探している子にめぐりあえれば、そのまま即面接、体入(体験入店)、本入(本入店)につながる可能性もある。

 

 

中には声をかけると、「私、今のお店でナンバーワンはってるのよ~」 みたいなドヤ顔で返事がかえってくることある。

「すごいですね~時給おいくらなんですか?」

と聞くと

「時給は5000円もらってるのよ!(`⌒´)」 またまたドヤ顔をしてくる困ったちゃんもいた。

 

歌舞伎町は虚栄心の塊の街なのである。

しかし、スカウトマンはその虚栄心を満たしてあげなければいけない。

 

当時19歳の僕には、その女性の虚栄心を満たしてあげるなんてことが出来ず

 

「時給5000円って!!そこら辺に歩いてるキャバ嬢だったら皆それ位もらってますよ~笑 」

なんて言ってしまって、名刺をビリビリに破かれて唾をかけられたこともあった。

 

歌舞伎町にはキャバクラ店やスナック店、クラブ等が無数に存在する。

だから自称ナンバーワンの子が本当に沢山歩いているのだ。

 

 

深夜12時以降ともなれば、ドンキ前にはホストの数が異常に多くいた。スカウトマンなど殆どいない。

友達のゆうすけは、ゴールデンタイムよりも深夜の時間帯に女性をスカウトしていた。仕事上がりのキャバ嬢を狙って、スカウトしていたのだ。

というより、ゆうすけは深夜12時以降の歌舞伎町が大好きで、深夜に徘徊をしながらイケないことをやっていただけなのだが、この話は危ないのでやめておこう。

 

僕は眠くなる体質なので、終電でいつも自宅に帰っていた。

 

 

数か月もスカウトマンをやっていれば、給料体系のしんどさに気付いてきていた。

キャバクラ店に女性を紹介すれば、10日間等の一定期間働いてくれたら、6万円から20万円のスカウトバックが入ってくる。(記憶が定かではないが。)

 

スカウトバックはお店のレベルや女の子のレベル(S級、A級、B級、C級)によって変わってくる。S級レベルの女性であれば、売上の一部がスカウトマンに永続的に入ってくることもある。

女性が10日間働かずに辞めてしまえば、もちろんお店からのバックは入ってこない。

 

僕が所属していたスカウト会社では、スカウトバックの3割を会社に上納しなければいけなかった。

もちろん、それには、シマ代や看板代、色々な名目の代金が含まれていることは十分に理解できる。

いや、19歳の僕には全く理解できていなかった。

 

なぜ、3割も払わなければいけないのだ!

ひどすぎると!!内心は怒り心頭であった。

 

ある程度歌舞伎町で毎日スカウト行為をやっていると、契約店以外の人脈やコネが出来てしまうのだ。

 

そうなると、学生ながら欲深かった当時の僕は、契約店以外のお店に直接スカウトした女性を紹介する。

 

そしたら、スカウトバックが100%入ってくる(*´ω`)ウヘヘ

 

 

 

とある日に、「以前名刺をもらったのですが、すぐにでもお店を紹介してほしいです。」いう女性から1本の電話がかかってきた。

 

歌舞伎町のドンキ前で女性と待ち合わせる。いつも通り、女性を契約店じゃないお店に連れていこうとする。

 

・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・

 

いきなり数分後、体がごつい人物が僕に飛び掛かってきて襲われる。その場でぼこぼこにされる。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

その女性は刺客だったのだ。

 

会社からも僕の動きは怪しまれていたのだろう。

その場でぼこぼこにされ、顔からは血が出ていた。

 

頭はぼこぼこに凹んでいた。

頭を触ると、グミのように柔らかくなっていた。頭って柔らかくなるんだなって・・・びっくりしたものだ。

 

車に連れ込まれそうになったが、僕は必死にその場で謝罪していた。

夕方の時間だったので、サラリーマンやOLなどたくさんの人が通っていたが、誰も助けてくれず。

 

そりゃ、そうだろう。

今でこそ歌舞伎町は平和な町だが、まだ14年前はヤクザや黒人も沢山いたし、そんなに平和な町ではなかった。

オタク風の男性がボッタクリのお店の人にボコボコにされてるシーンをそこらで見かけたものだ。

 

ただ、当時の僕は必死に抵抗して、なんとか半べそかきながら謝罪をして、カフェで話し合いをするように懇願して、カフェで話し合いをもつことに成功。

そりゃ、事務所なんかに連れていかれたら、やべーことになるのは当時19歳の僕でも簡単に予想はできたからね。

 

ごつい人物にカフェの中で正座をさせられていること30分したら、山崎さんがやってきた。

もちろん、山崎さんも僕に対して怒りプンプンである。

何せ、会社を通さずに抜き行為をやっていたのだから。

 

ごつい人物に、100万円を払って詫びるか、AV女優(単体)を3人決めるか、

「どっちにする?」と2択を迫られる。

 

選択をすれば、抜き行為は見逃すといわれた。

 

僕はAV女優を3人決めるという選択をして、念書を書くことになった。

当時の19歳の僕にとっては、痛い出来事であった。

 

後で、ゆうすけに僕をぼこぼこにした体がごつい人は誰か聞いてみたら、新宿の〇〇会の中の人だったらしい。

 

ぼこぼこにされたトラウマのせいで20代前半は歌舞伎町に行くのをためらったもんだもんだ。

 

まあ、最近では月1で歌舞伎町のキャバクラに行ってます。

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